篠原八幡大神
当神社は後鳥羽院建久三年(鎌倉時代)九月鈴木村の鎮守として
仝村字会下谷に勧請奉斉し、鶴崎八幡と称す。
寛永八年仝村字表谷に社殿を建立して奉遷し、其後寛文七年時の
代官伊奈半十郎手代新井孫兵衛により社殿を再建し若宮八幡と称した。
武蔵風土記稿に鶴崎八幡と称したるいわれを知らずとあり、
鈴木村は篠原村となり若宮八幡宮は八幡大神と奉称するにいたった。
仝村字会下谷に勧請奉斉し、鶴崎八幡と称す。
寛永八年仝村字表谷に社殿を建立して奉遷し、其後寛文七年時の
代官伊奈半十郎手代新井孫兵衛により社殿を再建し若宮八幡と称した。
武蔵風土記稿に鶴崎八幡と称したるいわれを知らずとあり、
鈴木村は篠原村となり若宮八幡宮は八幡大神と奉称するにいたった。

