意外と知らないちょんまげ!なぜ髪を剃り結っていたのか?

意外と知らないちょんまげ!なぜ髪を剃り結っていたのか?

髷(まげ)の由来とは?実は実用性から始まった髪型

髷(まげ)の起源は、なんと奈良時代以前にまでさかのぼります。


ちょんまげの直接の原型は「髻(もとどり)」と呼ばれるもので、頭髪を後頭部でまとめ、紙や紐で巻き上げて立てた髪型でした。


これが、のちの武士のまげや丁髷の基本形となります。


平安時代になると、冠や烏帽子(えぼし)をかぶるのに「かぶりやすく、ずれにくい髪型」が求められ、自然と髪を結って固定するスタイルが発達しました。


当時の成人男性は「頭頂部を他人に見せることを恥ずかしい」と考えており、入浴や就寝時でさえ烏帽子をかぶっていました。


つまり「烏帽子を支えるための髪型」は、生活の中でも欠かせない要素だったのです。


こうして生まれた“実用のまげ”が、のちに武士や庶民にまで広がっていくちょんまげ文化の源流となりました。



戦うためのまげ ― 鎌倉から戦国へ

その後、武士の台頭とともに髷は大きく変化します。


鎌倉時代には戦場での実用性が重視され、長髪を垂らすのではなく剃髪して後ろで結ぶスタイルが広まりました。


これにより、兜の着用が容易になり、戦闘中に髪が邪魔になることも防げます。


興味深いことに、似たような発想は世界にもありました。


たとえば中国の満州族の辮髪(べんぱつ)も、一説には兜をかぶる際に髪が邪魔にならないようにしたのが始まりだとされています。


清朝の軍人は、戦いの際に三つ編みの辮髪を首に巻きつけ、敵の刀を防いだとも伝わります。


その後は統治の象徴として民衆にも広まりましたが、出発点は「戦いや実用のための髪型」。


世界を見渡しても、「髪をまとめること」は生きるための知恵だったのです。



月代(さかやき)を“抜いていた”戦国時代

「ちょんまげ」といえば、頭頂部の剃られた部分は「月代(さかやき)」と呼ばれます。


そして戦国時代、この月代は剃るのではなく毛抜きで抜いていたのです。


武士は兜を長時間かぶる生活を送っていました。


蒸れを防ぎ、血流を良くするため、定期的に頭頂部の毛を抜いていたといいます。


ポルトガルの宣教師ルイス・フロイスは「日本の武士は頭が血だらけになっている」と記録を残しています。


想像するだけで痛い話ですが、それほどまでに「髪型=戦うための装備」だったのです。


戦いの前に月代を整えることは、身支度であり儀式でもありました。


まげは「覚悟の形」だったとも言えます。



室町から江戸へ ― 髷がステータスになる

戦乱の世が落ち着くと、まげの意味も変わります。


室町時代には、髷の高さや形で武士の身分や家柄を示すようになり、ひとつのステータスとなりました。


高く結ぶほど誇り高く、低く結ぶほど控えめなど、まげの形に「品格」が宿る時代です。


江戸時代になると、武士だけでなく町人や商人にも髷が流行り、簡略化された丁髷(ちょんまげ)が登場しました。


月代の幅や範囲、髷の太さ、長さ、傾斜角度など細かなこだわりポイントがあり、人気の髪結に結ってもらおうと、長時間列ができていたそうです。


流行や地域差も生まれ、まげはファッションであり、自己表現の一部になっていきました。


その後、明治維新の断髪例により、ちょんまげをやめ、散切り頭になる人が増えていきます。


「ザンギリ頭をたたいてみれば文明開化の音がする」という有名なフレーズ通り、文明開化の象徴の一つとなります。



力士にまげが残っている理由は?

現代で唯一、まげを結っている職業、それは力士。


なぜ彼らは今もこの髪型を守っているのでしょうか?


理由は大きく二つあります。


まずひとつは、国技としての伝統を保つためです。


明治の断髪令の際、政府は原則としてまげを禁止しましたが、相撲の伝統は例外として認められました。


相撲ファンや力士たちの文化的価値を尊重した措置で、まげはそのまま現代まで受け継がれています。


もうひとつは、実用性です。力士のまげ、特に大銀杏(おおいちょう)は、転倒時に後頭部を守るクッションの役割も果たすといわれています。


見た目の格式だけでなく、安全装備としての意味も持つ、まさに伝統と実用が融合した髪型なのです。



現代にも通じる「まげの意味」

いまでは、ちょんまげを結う人はほとんどいません。


それでも、その精神は現代の私たちの行動の中に息づいています。


たとえばスポーツ選手が試合前に髪を結ぶのも、職人が作業前に頭を整えるのも、すべて「集中」と「覚悟」を形にする所作です。


戦国の武士がまげを結って戦に臨んだ姿と、どこか共通するものがあります。


また、江戸時代に庶民に広まったちょんまげは、自分の個性を表現するファッションでもありました。


現代の私たちが髪型や服装で気分を整えるのと、まったく同じ感覚です。


こうして考えると、ちょんまげは単なる「面白い髪型」ではなく、時代を超えて人々の心と行動に寄り添う存在だったのだと、少し親しみを感じられるのではないでしょうか。







アニマルウェルフェア認証・有機JAS基準の北海道短角牛は北十勝ファーム

◆北十勝ファーム有限会社:https://kitatokachi-farm.com/

この記事を書いた人

水木 エリ

『イートラスト株式会社 総合サポート本部 Webデザイナー』
笑うと目がなくなるタイプのWebデザイナー(見習い)
趣味は、散歩・読書・コジコジ。最近気になるものは、妖怪。特に河童。

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