有名ブランドだけど意外と知らない?ドクターマーチンの歴史

年も明けて、早くも2月に・・・寒さも一段と厳しくなり、服装も真冬のコーデになってきましたね。
冬に身に着けるアイテムとして、コートやダウンなどがイメージできますが、その中の一つとしてブーツが挙げられるかと思います。
ブーツを取り扱うブランドは数多くありますが、その中でもドクターマーチンは革靴でありながら、耐久性があり履きやすいブーツ。
またスニーカーも販売しており、ライブシーンやストリートファッションにも取り入れられており、有名ブランドとしての地位を確立しています。
今回は性別や年齢を問わず、幅広い方々に知られてるブランド「ドクターマーチン」の歴史についてご紹介していきます。


靴づくりのきっかけ
ドクターマーチンは一人の医者から始まります。
1915年にクラウス・マルテンスがドイツで眼科医を営んでいる家の息子として生まれました。
当時は第一次世界大戦が始まった時代で、家業が医者であったことや、戦争が勃発するさなかだったこともあり、クラウス・マルテンスは軍事医師を目指すことになります。
第二次世界大戦では、実際に軍事医師として派遣され、生き延び帰国を果たしました。

1945年、医師としての開業を考えていたクラウス・マルテンスでしたが、戦争で居場所を失った医師が大勢いる状況が続き、開業を諦めます。
ドイツやヨーロッパ各地では大変な物資不足に陥っていました。中でも靴は求める人が多く、物資の一つでした。
それを知ったクラウス・マルテンスは若いときに靴の修理工として働いた経験があったこともあり、靴を作ることを決意しました。

必要な素材を集めることが容易ではない状況下で、アイディアを振り絞り、戦後に残っていた靴修理屋の靴型と廃棄されていた針を利用して靴のプロトタイプを作成します。
実際の靴の製作にはより精密な技術や専門的な知識が必要となったため、それを機械工学の知識を持つ大学時代の旧友、ヘルベルト・フンク博士に見せました。
この2人はパートナーシップを結び、使用されていない軍事用品を原材料として用い、独自の靴を生産し始めたのです 。

クラウス・マルテンスが靴作りで最も重要視した点はソールです。
自身が足やひざに古傷を持っており、その部分をカバーできる靴を考えるにあたり、ソール部分が重要と思っていたからでした。
2人の共同開発によって、油を主原料にしたPVCと呼ばれる新素材を利用し、軽量でエアクッションを導入したソールを生み出します。
このソールは、世界で初めてのエアソールとなり、現代にも続く技術の基盤になります。
廃棄された軍事用コートのアッパーに、PVCのソールを合わせた靴は、瞬く間に民衆の人気を集めましたが、1959年、2人はもっと大きな市場での流通を目指し、海外へ視野を向け広告を出しました。

アイコンの始まり
イギリスのノーサンプトン州ウォラストンにて1901年から製靴業をスタートしており、耐久性のあるワークブーツを作る老舗的な存在として知られていたグリッグス家の三代目のビルが靴業界の雑誌を読んでいると、ドイツ人が掲載した独創的なエアクッションソールの広告が飛び込んできました。
そのエアクッションソールの製造特許を獲得したグリッグス家は、いくつかの変更を加え、よりよく改善されたヒールと丸みを帯びたシンプルなアッパー、独特の黄色のウェルトステッチ、ツートンの溝付きソールエッジ、そし てユニークなソールパターンを備えるブーツを製造しました。
1960年、最初のブーツ、「1460」と名付けられた【8ホールブーツ】が誕生しました。
現代のドクターマーチンとは異なり、発売後の数年間は、「頑丈で、そこまで高額ではない靴」として、工場従事者や郵便局員、警察官などの労働者階級の男性を中心に人気がありました。


ワーキングブーツからサブカルチャーへ
ジャマイカの音楽であるSKAを好む初期のスキンヘッズがドクターマーチンを着用したことがきっかけとなり、ビートルズ、ローリング・ストーンズ、クイーンなどのミュージシャンらが、マーチンブーツを好んで着用するようになり、徐々にファッションアイテムとして浸透していきました。
また、ファッションカルチャーも変化していき、機能的なワークブーツであったブランドを、派手でこれまでになかったファッションスタイルに取り入れられるようになりました。
1970年代末には、ドクターマーチンは英国のユースカルチャーの中核をなし、自己表現のシンボルに成長していました。
1980年、社会に対する強い不満が募り、反政府暴動が発生していた英国では、サイコビリーなどのストリートカルチャーが流行し、当初はメンズの小さいサイズを買っていたストリートの若い女性たちが、ドクターマーチンの8ホールブーツにフローラル柄などを施し、ブーツをカスタマイズして履き始めていました。
一方では、イギリスをツアーしたアメリカのハードコアバンドがドクターマーチンを西海岸のシーンに持ち帰ったことより、アメリカへのサブカルチャーの浸透も始まりました。
性別や国を越え、様々な人々にドクターマーチンの存在が認知されるようになっていきます。


様々な個性の人々と共に進むづランド
ソーシャルメディアの発展によりグローバル化していく時代の中で、様々な個性のアーティスト、ミュージシャンに愛されるようになったドクターマーチン。
ファンのニーズやアティチュード、アイデンティティをブーツやシューズに反映させることによって、今のドクターマーチンが存在している。

最後に
僕自身、ドクターマーチンをシューズもブーツも履いてきましたが、革靴でありながら、履き心地がとてもよく、丈夫で長く履くことができ、すごく好きです。
戦争があったことや、怪我をしていたというマイナスなことから、きっかけを見つけ、アイディアを振り絞って開発した商品を、世界的に有名なブランドとして成長させた努力に驚きました。
ロックミュージシャンなどのアーティストから影響を受けていたことも多く、様々なブランドとのコラボも多いので、これからもドクターマーチンの商品に注目です!
