お花見の宴会は一体いつから始まったの?
寒さも少しずつ和らぎ、春のきざしを感じる今日この頃ですね。
今年2024年の桜の開花は先日3/29に東京の開花宣言を皮切りに、各地で開花し始めていたり、満開宣言が出されたりしております。
ところで日本の春の風物詩であるお花見は、いつ頃から行われてきたのでしょうか?
今回はお花見の歴史をご紹介していこうと思います。
お花見の起源は奈良時代。主役は梅だった!?
お花見の起源は奈良時代までさかのぼります。
この頃のお花見の主役は桜ではなく、遣隋使が中国から持ち帰った梅の花。
奈良時代に編まれた和歌集『万葉集』をみても、梅を詠んだ歌が110首に対し、桜を詠んだ歌は43首。当時の梅の人気が伺えますね。
さらに、お花見は貴族独自の文化でもありました。
京の都の貴族は自分の邸宅に梅園を設け、梅を眺めつつ歌を読む風流なお花見を楽しんでいたそうです。
日本人の桜好きは平安時代から
平安時代に入ると遣唐使制度が廃止されたことをきっかけに、お花見の主役は桜へと移り変わります。
この頃から「花」と言えば桜のことを示すほど、日本人の桜好きのルーツとなりました。
平安時代に編まれた『古今和歌集』をみれば、桜の歌が70首、梅が18首と桜の人気が奈良時代より高くなったことが分かります。
日本最古のお花見が開催されたとされているのは812年。
京都の神泉苑(しんせんえん)というお寺で嵯峨天皇が「花宴の節」をおこない、歌や音楽を楽しんだと伝わっています。
そのため神泉苑は「お花見発祥の地」として今なお親しまれており、平安時代の趣を感じる庭を眺めながら桜見物を楽しめます。
お花見の宴会スタイルの生みの親は豊臣秀吉?!
貴族だけではなく、各地方の武士に花見の文化が広まったのは鎌倉時代以降。
貴族による優雅なお花見のスタイルにも大きな変化が起こります。そのきっかけとなった人物が武将・豊臣秀吉です。
派手好きとして知られる秀吉は700本の桜を醍醐山に植え、1,300人もの客を招待して「醍醐の花見」を開いたとされます。
秀吉は日本全国から献上された銘酒・銘菓などを振舞い、参加した女性全員に2回の衣装替えを命じるなど趣向を凝らしたとか。
この豪華絢爛なお花見が、桜を見ながら宴会を楽しむというスタイルへと変化したそうです。
庶民に広まった江戸時代。花見団子が定番に!
戦がなくなり文化が花開いた江戸時代に、お花見も庶民に広く浸透するようになりました。
現在もお花見スポットとして有名な浅草(隅田川堤)や飛鳥山の桜は、江戸幕府8代将軍・徳川吉宗が植えたものだそうです。
政治を取り締まる一方で、花見を奨励することで庶民の心をつかんだといわれています。
ちなみに、三色の団子が串に刺さった「花見団子」が食べられるようになったのも江戸時代から。
ピンク色の「桜」で春を、白色の「雪」で冬を、緑色の「ヨモギ」で夏を表現したこの団子。秋がないので「飽きずに」食べられるなんていう洒落も利いているのも江戸らしいですね!
これから桜シーズンの本番に入っていきます。
お花見の宴会の自粛要請など言われていて、例年通りの桜の楽しみ方は出来ないかもしれません。
ただ街中でもふとしたところに桜の木があるので、歩きながら桜の花を見て癒されてみてはいかがですか?
この記事を書いた人
『イートラスト株式会社 CS・テクニカルチーム 課長/ B-rise運営事務局 副局長』
飲食業界で現場・SV・マーケティングを経験し、2014年イートラスト株式会社へ入社。ディレクター業務・カスタマーサポート業務を経て、現在はSEOやホームページ運用全般を請け負う「テクニカルチーム」を立ち上げ、責任者を担う。飲食業界に携わっていたこともあり、サービス業様へのWebマーケティング・SEO/MEOで貢献していくため、日々新しい試みを模索している最中です。